私のブログを、盗まないでほしい

健康に関係する情報を扱いながら、専門性にかけていたり、間違いのあるクオリティの低い記事を量産していたとして話題になった DeNA の WELQ が一旦閉鎖になったというニュースになっています。

これについては DeNA の守安氏も「記事の作り方に問題がある」「認識が甘かった」とコメントを出しておられます。ぜひこれを機会に、読んでくださる読者のことを念頭に、コンテンツのクオリティを高めていただければと思います。

DeNA守安氏「認識が甘かった」——WELQに端を発したキュレーションメディアの大騒動 | Techcrunch

しかしこの記事の説明においては、主にクオリティの話だけがとりあげられていて、そもそもの記事の多くが安価のクラウドソーシングサービスなどを利用したリライトなのではないかという疑惑については応えていません。たとえば辻さんのこうした指摘が参考になると思います。

これは重要な指摘で、問題となっているキュレーションサイトはウェブにむけて価値ある情報を生み出しているのではなくて、BANされない程度に盗んで改変して再利用しているという告発です。

医療系のサイトにおいて、これがどれだけ悪質かはいうまでもありません。しかし他の分野においても、それは苦労して書いた言葉が、意図も重要性も十分に理解していない人におもちゃにされ、収益の具にされているということでもあります。

形式的には引用でも、それは違うだろう

さて、ここからは多少感情論がまじります。

他の記事をリライトして提供するのも問題ですが、それを回避するために「引用」だけで記事を作成する手法もあって、それだって実質的に盗んだことと言えないだろうかという問題提起です。

なぜなら、こうしたキュレーションサイトがやっていることは形式的にはOKにみえていても、内容として非常に残念なものが多いからです。残念というのは感情です。「そうじゃないんだ」という憤懣の気持ちです。

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たとえばこちらの記事のこちらの文章。上の部分が「引用」された私のブログの文章です。

これは盗用ではない、引用だというのなら、形式的にはそうなのでしょう。しかし、これをみてなにかが引用されていると感じる人はいるでしょうか?

なぜ、私の言葉はここに挟まれているのでしょうか? 私も地方自治体などからお誘いをうけて、取材をお願いされることはよくあるのですが、そのとき最も重要視しているのは、私が読者の目となって、耳となって、現地に立った雰囲気を私の言葉で伝えることです。

でもこれは、違います。

この「引用」は、本文を書くのが面倒なので、現地に行ってもいない、時間をかけて感じることもしない人が他人の言葉を都合よく拝借してなにか情報があるかのように書いているだけです。これは形式的には引用の形をとっていても、引用とはいえないでしょう。

リライトしているわけではないですが、引用した文章にもとづいてなにか新しいものを作っているわけでもありません。形式的にはOKでも、形式だけの張り子なのです。私はいま、感情の話をしているのです。

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画像についても同様です。当サーバーのファイルにリンクをして画像を自分のサイトに表示したり、ファイルをコピーして盗用するのはもちろんマナー違反であり、ルール違反です。

たとえばRetripさんのこちら魚拓)や、こちら魚拓)のような画像、典拠を示していても私は使用許可を出していません。クライアントのために撮影した写真もあるので困ってます。また、こちら魚拓)で「熊本ラーメン こむらさき 本店」の画像として紹介されているのは、こちらの記事で新横浜のラーメン博物館で撮影されたものですので、そもそも本店の画像ではありません。

(追記:その後、最初に例示した画像が使用されているページは編集され、画像だけがなくなっていたり、ページごと削除が行われました。なんら連絡がないところをみると、つまり Retrip は責任を認識しているけれども、責任を取りたくはないということがみてとれます。つまり、本記事の趣旨である、彼らは何かを生み出そうとはしていないという点を自ら証明したようにみえます。なので別のベージと魚拓に変更しました。)

最近では当該画像が勝手に Instagram や Pinterest に投稿されていて、それをウェブサイトに埋め込むことによって、利用許諾に準拠してる体裁をとる場合もあるようですが、これももちろんルール違反です。

しかし、形式上ルールにのっとって、本人が FlickrやInstagramに投稿している写真を使って記事を作成する際でも、疑問に思うケースは目立ちます。

写真共有サイトFlickrの写真が、デフォルトでパブリックだったのはなぜでしょうか? それは写真を個人の占有物にせず、積極的に公開することでマッシュアップを促進するためでした。

Creative Commons ライセンスで提供されている写真については、他者の才能のうえにさらに他者が別の才能を発揮してコラージュを作ったり、キュレーションをしたりといったことをしていました。その根底にあるのは、シェアすることで、よりよい作品を生み出してゆこうという意志です。

旅をせずとも旅サイトの記事を量産するために Flickr や Instagram や 使用するのは、形式上は引用であり、埋め込みであり、OKなのかもしれませんが、感情的には「あなた、旅してないじゃないですか」という思いしかありません。

それは言葉を殺し、写真の文脈と価値を摩耗する行為だと思うのです。

それは引用ではない

これまで、私はコンテンツの盗用については基本的におおらかに対応をしていました。たとえ怪しげな「引用」であっても、リンクをしてくれるのならば、それはそれでよいとも思っていました。

しかし、ここまで実際に旅をせず、実際に感じとることをせず、実際に言葉を生み出すことをしない記事が増えてきたのでは、危機感が増してきます。

実際に現地にいかなくても行ったていの記事を書いて、それで「旅サイト」「旅ライター」と名乗れるなら、現地の美しさは誰が目撃して、誰が伝えてくれるのでしょうか

本当は感じていないことを「引用」して、コピペして、拡散するうちに、その場所に立ったときの感動は伝わるのでしょうか。言葉は誰がどうして口にしたのかというコンテキストを離れて、そう長くは生きられません。

旅先について検索するとき、健康について検索するとき、インテリアや、ノウハウや、なんでもいいでしょう。

知りたいと思ってなにかを調べたときに出てくるのが、読者のためになにかを伝えることも感じることも放棄し、ただGoogleの検索ロボットを誘導して収益に最適化するための無機質な情報の奔流となったあとで、そんなものに誰が価値を見出すでしょうか。

だから、形式的にはOKな引用や、限りなくグレーな画像の流用も含めて、感情的に申し上げたいのです。それは引用ではない。

どうか私のブログを、盗まないでほしい。

(付記)

一つだけ、本稿であえて避けたのは「引用は、原著作者にとって気持ちがよいものとは限らない」という点です。私がCreative Commonsで提供している写真が、私にとって気分が悪くなる作品に流用されたとして、抗議はできても禁止はできません。

それがシェアするということの意味であり、引用する権利の強さを担保するものです。だから、上で説明したようなグレーな引用についても、おまえは気に入らないかもしれないが形式としてOKなら認めるべきじゃないのかという論点についても、私は一定の妥当性を見出します。

「盗まないでほしい」というのは感情です。

私の意見とはあわなくても、良いものを生み出したいと思っての引用なら、これからだってどんどんとしてけっこうですし、写真を使わせてほしいという連絡があれば、たいていの場合はOKを出します。「盗まないでほしい」というのは、「勝手に使うな」というよりは、「適切にシェアして、もっと良いものをみんなでうみだそう」という側に偏った願いなのです。

でも、断言しますがキュレーションメディアがやってることはそういう作品作りではないですよね(笑)

(付記2)

そういう前提を理解していただいたうえでなら、上の記事と矛盾するようにみえますが、どうぞ、ぜひこのブログを「盗んで」ください。それが書き手としての私の願いであり、喜びなのですから。

 

「クリエイターが知っておくべき権利や法律を教わってきました。著作権のことをきちんと知りたい人のための本」 (インプレス) 鷹野凌・著

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