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「あの頃」を思い出させる映画「百瀬、こっちを向いて」はおじさんにこそおすすめ

Momose movie

元ももクロの早見あかりさん初主演の映画、「百瀬、こっち向いて」が上映開始となっています。

実は試写会にお誘いいただいていたのに、リポートが遅れに遅れていました。というのも、私はもももクロファンというわけでもありませんし、ちょっとふだん見ている世界とは違うこの映画の世界を書く言葉がなかなか見つけ出せなかったからです。

本作品は中田永一氏の同名の短編が原作ですが、私はこちらも読まずに劇場に足を運びました。本当にもう、真っ白な白紙の状態です。むしろこうしたことのほうが最近はめずらしいですよね。

だからこそ素直にほとんど先入観なしに映画を鑑賞できた感想は、やはり素直な、「いいじゃないか、これ」という気持ちでした。

そんなに歳をとったというほどではなくても、少しは思い出を懐かしむようになった世代がみて心地よい痛みが思い出される、そんな作品なのです。

「おじさん」にこそ見てほしい理由

作品のあらすじは公式サイトに詳しいですが、かいつまんで紹介するとこのようになります。

高校卒業以来に久しぶりに故郷に戻った相原ノボルは、15年前の高校時代の「嘘」のことを回想します。それは憧れの先輩である宮崎瞬に突然呼び出され、ショートヘアで野良猫のような目つきの少女、百瀬陽と、つきあっているふりをしてほしいと頼まれて始まった偽りの恋の日々のことでした。

先輩には本命の彼女がいるにもかかわらず、百瀬とつきあっているという噂がたったためにそれを打ち消すための偽装をしなければならない。奔放にノボルを振り回す百瀬の視線の先は、そして他人との関係をうまくつくれないノボルの心にうまれる変化は…。

とまあ、この時点でなにやら危うい、緊張感をはらんだ物語のように思われるかもしれません。子供の頃のわたしはこうしたストーリーは途中で逃げ出してしまうほど苦手だったのですが、実は本作品、最後まで厳しい修羅場や、居心地の悪くなるシーンはありません。

そのかわりにあるのは、ひたむきに純粋な「相手への視線」です。百瀬の、宮崎先輩への視線、それをみつめるノボルの視線、宮崎先輩の本命の恋人、神林徹子の視線。

大人になった人ならきっと思い出すこともあるだろう、あの、心を動かされた相手へに言葉では伝わらない何かを伝えようとする、初心で、見返りを求めない視線。これが映画では素直に表現されているのです。

映画自体が、いい大人になった相原ノボル(向井理)の現在のシーンと、回想される15年前の相原ノボル(竹内太郎)のシーンという2重構造をとっているのですが、少しずつ明かされてゆく15年まえのできごとと、「結局どうなったの?」という部分とが、ちょうどよい協奏曲になっています。

そしてこの時間の経過のもたらす間隔というのは、若い人が見るよりも、きっとおじさん(あるいはおばさん)になってしまった「15年前の若者」が見るほうがきっと心に迫るものがあるのではないでしょうか?

だれしも、自分の青春にきれいにケリをつけて大人になれたひとなんてそうそういないでしょう。

伝えられなかった気持ちを抱えたまま、やりのこしたことを後悔したまま。あそこで、あのひとことを言っていれば、いや、ほんのすこし振り向くだけで、今の自分とは違う場所に、自分はいたのではないか?

そんなほろ苦い、時間の経過が及ぼす暴虐を知っているおじさん、おばさんだからこそ、すなおに「うん、いいよね」といえる部分があるわけです。

作品のなかの相原ノボルもまた、ケリをつけられないまま大人になり、どことなく高校の頃から変わらないオドオドとしたところを残しながらも、やはり何かは変わっています。

それが見ている側にとっても、不完全なままとはいえ、過ぎ去った季節を肯定することで形だけでも一歩前に踏み出せるという、あの次第に忘れつつある感情を呼び覚ますのです。

ちなみに原作をご存知の方に。試写会後にすぐに原作を購入して読んで驚いたのは、映画はまったく原作とは違う終わり方をしていて、私には実はこちらのほうが作品としての深みは増しているような気がした点です。

思い出のなかの少女

Momose

そして今回なんといっても注目の初主演の早見あかりさん。これがまた、よい感じに「どこにでもいそうで、どこにもいない少女」としてスクリーンのうえに登場していました。

というのも、この映画のポスターともなっている、この半分振り向いた横顔。眠たげな視線、物言いたげな唇。この横顔だけで、もうどこか異国からやってきたひとのように非現実的ですらあります。

ひょっとして、回想のなかの百瀬は回想する大人になった相原ノボルによって理想化されて思い出されているという演出ではないかと思うわけです。

経験ありますよね? あの頃のあの人を思い出すとき、心が彩りを勝手に加えてしまうということが。心の中の少年め、まだ生きていたのか!と驚く瞬間でもあるわけですが。

映画のなかでは演じられる百瀬の奔放さと、早見あかりさんの見た目のギャップがまたなんだか不思議で、映画がシリアスになりすぎる寸前で中和されています。

相原少年、けっこうヒドい言葉を投げかけられている気がするのですが、みていて傷つく感じがまるでしない(笑)。というのも、乱暴な口をきいていても相手に少し余裕を残してあげている感じが出ていて、この辺りに早見あかりさんの今回の演技の見所がある気がします。

映画は、この四人の関係がどのようになったのか、そして15年後、彼らはどこにいるのか? という一応の収拾をして終わるわけですが、誤解をおそれずに書けばストーリーは本当にどちらでもよくて、忘れていた瑞々しい間隔、素直なあこがれ、時間の経過が生み出す優しい痛みを感じて楽しめればそれでいいのではと思います。

意識して思い出しにいかなければ、きっとこういう感覚というのはもっともっと深く忘れてゆくものだと思うのです。ときとしてそれを掘り起こすために、こうした映画はあるのでしょう。

果たして百瀬はこっちを向くのか、向かないのか?